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松づくしの旅

地唄「松づくし」

さてもめでたき常盤木の
一本目には池の松
二本目には庭の松
三本目には下がり松
四本目には滋賀の松
五本目には五葉の松

六つ昔は高砂の
 尾上の松や
   曽根の松
七本目には姫小松
八本目には浜の松
九つ小松を植え並べ
十で豊久能の伊勢の松

この松は有情の松にて
情け有馬の松が枝に
くどけばなびく相生の松

またいついつの約束を
日を待つ 時待つ 暮れを待つ
連理の松に契りを込めて
福大黒をみさいな

山桜の咲き誇る4月のある日、地唄「松づくし」に謳われる銘木の松達に会いたいものと思い、お誘い合って1泊2日で出かけてみました。

松づくしの旅1日目 京都松めぐり
松づくしの旅2日目 播州松めぐり

ー 1日目 京都松めぐりー

右京区花園「阿じろ」にて、精進朱膳を昼食に頂きました。
食後は近くの妙心寺(臨済宗妙心寺派大本山)を参拝。重要文化財の法堂(はっとう)にて狩野探幽法眼守信の「雲龍図」と国宝「妙心寺鐘」を、境内の同じく重要文化財の「明智風呂」を見学。
午後は一路大原へ

大本山 妙心寺御用達 有限会社 阿じろ
所在地
〒616-8041 京都市右京区花園寺ノ前町7
お問合せ
075-463-0221
公式HP
妙心寺派宗務本所
所在地
〒616-8041 京都市右京区花園寺ノ前町7
お問合せ
075-463-0221
公式HP
宝泉院
所在地
〒616-8035
京都市左京区大原勝林院町187 番地
お問合せ
075-744-2409
公式HP
ここに京都市指定天然記念物 樹齢700 年の「五葉の松」があります。
山門をくぐると、まずは富士山の形に剪定された五葉松がお出迎え。

宝泉院には、声明(しょうみょう)の音階に使われた石琴と額に入った声明譜がありました。
許可をいただいて演奏することもできました

宝泉院の寺の中を廊下伝いに中へ中へと進みますと「宝楽園」と名付けられた庭園があります。
額縁庭園の中央にあるのが巨大な五葉松。
左右に多数の枝を伸ばし、その先が先ほど見た山門の富士。
大元の幹は根元から扇のように末広がり、神々しいほどの圧巻さです。

このお庭をお部屋の中から眺めながらお抹茶も頂けます。
宝泉院
所在地
〒616-8035
京都市左京区大原勝林院町187 番地
お問合せ
075-744-2409
公式HP

寂光院は天台宗の尼寺で、元々は聖徳太子が父君の菩提寺として創建。
時隔て1185 年の壇ノ浦の戦いで生き残られた健礼門院徳子(平清盛の息女)は、この寺で尼として平家一門と安徳天皇の菩提を弔いながら余生を過ごされました。
平家物語に後白河法皇がここに健礼門院を訪ねる「大原御幸」で間もなく物語が終わるという、縁の地です。

「七本目の姫小松」を訪ね、寂光院を訪れた美緒野会一行。
しかし寂光院は、2000 年に放火による火災に遭い、樹齢1000 年とも云われ平家物語の中で歌にも詠まれた御神木も無残なお姿に。
焼け残った姫小松は、いまは枯れ木。それでも十分に力と風格の余韻を感じさせます。
姫小松と呼ばれていても、火災前はさぞ立派な巨木だったことでしょう。平家物語と、この松が、そっくり重なります。

大原は、春の薄萌葱色の山を、京都から幾つも隔てた先にある静かな里でした。
今でも美しく侘しく、健礼門院の当時の思いが偲ばれます。

京都大原 寂光院
所在地
〒601-1248 京都市左京区大原草生町676
お問合せ
075-744-3341
公式HP
「三本目の下り松」は「一乗寺下り松」という名称で、左京区一乗寺花ノ木町の住宅街のなかの通りにありました。 京都市の駒札によると

“ここは近江(現在の滋賀県)から比叡山を経て京に通じる平安時代からの交通の要衝で、この松は古くから旅人の目印として植え継がれ、現在の松は四代目に当たる。江戸時代はじめ、この地で、剣客・宮本武蔵が吉岡一門数十人と決闘を行った伝説が有名で、ここから東に約300 メートルの所にある八大神社の境内に、決闘を見下ろしたという初代の松の古株が保存されている。
武蔵は決闘に向かう途中、同神社で神頼みをすることを思い立ったが、神社に頼ろうとした自分の弱さに気付き寸前でやめたという話もある。
平安中期から中世にかけ、この辺りにあった一乗寺という天台宗の寺が地名の由来となったが、南北朝の動乱以後に衰えて廃絶した。傍らの記念碑は、大正10 (1921) 年に広島県呉の剣士・堀正平氏により建立されたものである。”

とありました。
一乗寺下り松
所在地
〒606-8151
京都府京都市左京区一乗寺花ノ木町
お問合せ
075-781-9076
公式HP
無し

ー2日目 播州松めぐりー

翌日京都を後にした一行は、「六つ昔は高砂の尾上の松や曽根の松」を求めて播磨へ。

・曽根の松がある曽根天満宮
・相生の松がある高砂神社
・尾上の松がある尾上神社
この三つの神社を訪れました。近辺は今もあちこちに松が多く、他にも明石の住吉神社、加古の松原など見どころのある松があり、江戸時代には「播州松めぐり」として観光名所だったそうです。

由緒 (当神社ホームページより)

醍醐天皇の御代、延喜元年(901)菅原道真公は無実の罪により九州大宰府へ左遷される。
その途中港に船を寄せて、曽根天満宮西方の日笠山に登られ「我に罪無くば栄えよ」と祈って山上の小松を植えられた。
これが霊松(れいしょう)曽根の松で、現在も幹が保存されている。
その後、四男淳茂公(あつしげこう)が、家臣13 人と共にこの地を訪れ、父君ゆかりの場所に社殿を建てお祀りしたのが創始とされる。

翌日京都を後にした一行は「六つ昔は高砂の尾上の松や曽根の松」を求めて播磨へ。
・曽根の松がある曽根天満宮
・相生の松がある高砂神社
・尾上の松がある尾上神社
この三つの神社を訪れました。
近辺は今もあちこちに松が多く、他にも明石の住吉神社、加古の松原など見どころのある松があり、江戸時代には「播州松めぐり」として観光名所だったそうです。

曽根の松

菅公手植えの松は、幹まわり6mという御神木にふさわしい姿になったが、秀吉の播州征伐の兵火以後衰弱し、寛政10年枯死した。小林一茶はその3 年前当社を訪れ「散り松葉 昔ながらの 掃除番」という句を残している。現在、手植え松の幹は霊松殿に保存され、その枝を使用して作られた模型が資料館に保存されている。

松鑑賞のために神社を左右対称でなく、向かって右側を二間長く建てたそうです昔の人はどんだけ松好き~ !? と、感服いたします。

神主さんのご案内で資料館の中へ。

館内には菅原道真が植えた「霊松」の模型があります。この模型すら300 年以上昔のもの。結構な大きさでガラスケースに入っています。館内の壁一面に秋祭りの写真が多数展示してありました。盛大なお祭りのようです。霊松の掛け軸も見せていただきました。

歴代の松も戦国時代に松明にされてしまったり、松喰い虫に襲われ枯れてしまったり。
現在は5 代目の松が成長を見守られています。

播磨国 曽根天満宮
所在地
〒 676-0082
兵庫県高砂市曽根町2286-1
お問合せ
sone@tenmangu.net
公式HP

由緒 (当神社ホームページより)


髙砂神社は、約1700年前に神功皇后が三韓より凱旋する途上で鹿子水門(かこのみなと)に停泊され、国家鎮護のため大己貴命をまつられたのがはじまりと伝えられています。
その後、天禄年間(970 ~ 972)に疫病が流行した際、神託によりスサノヲノミコトとクシナダヒメを合わせてお祀りしたところ、疫病がおさまったといいます。

世阿弥の謡曲「高砂」に名高い境内の相生松は雌雄一体の珍しい松で、髙砂神社創建以来、夫婦和合、長寿繁栄を祈る尉姥として親しまれています。謡曲「高砂」は、結婚式などのおめでたい席には欠かせないものとなっています。
私たちの結婚式は相生松のまえで行なわれた庶民の婚姻の礼からはじまったことから、髙砂神社は庶民の結婚式の発祥の地でもあります。

髙砂神社は、海運、武運、疫病回復、治水、なかでも縁結び、夫婦円満、長寿(相老)の祈願で有名になりました。それもこの相生の松ゆえ。
覗き込んだ中の松は圧巻です。ご神木の巨大さ故か、ご神木の発散するパワーなのか、一同圧倒。

高砂の町や高砂神社には、史実伝説様々な言い伝えがあり、相生の松は万葉集、古今集、百人一首でも歌われている、という神主さんのお話を拝聴します。

根は一つで雌雄の幹が左右に分かれています。
尉姥二神(老夫婦の松の精)が現れたという言い伝えがあり、相生(相老)の霊松として祀られています。まるで龍の巨大な木乃伊(ミイラ)のようです。巨大な枝は石碑にようやっと支えられています。

境内の能楽堂では能楽「高砂」が奉納されます。

境内(野外)にあるご神木能は、「高砂」の登場人物阿蘇宮の神主友成(ワキ)が曳きし枝より発芽したという言い伝えです。

高砂神社
所在地
〒676-0043
兵庫県高砂市高砂町東宮町190
お問合せ
079-442-0160
公式HP
由緒 (当神社ホームページより)

当社は昔、神功皇后が三韓( 朝鮮) 征伐をなされた時、住吉大明神が海上を守護されたため、皇后は御凱旋のみぎり、ここに上陸されたが、霖雨が降り続いて軍を進めることが出来なかった。そこで、皇后は「鏡の池」で斎戒沐浴して当社を鎮祭し、晴を祈願されたという。以後、軍神として、又、海上の守護神として舟人の参詣する者が多かった。
豊臣秀吉の三木城攻め( 中国征伐) の際、毛利・小早川・吉川の軍勢がこの海岸に上陸して軍陣をひいた。この戦乱のため、社頭は荒廃していたが、慶長九年池田輝政が姫路の藩主となった時、初代相生の松の根の上に社殿を移して修築、更に寛永二年本多忠政が鐘楼を建立した。

境内には社が三棟連なります。右二棟は播磨産の瓦で、左一棟は諸事情で播磨外の瓦だそうです。

播磨の尾上七代目さん。快晴の青空と松の緑のコントラストが鮮やかで眩しいです。
境内には「尾上の松」「片枝の松」の他、たくさんの松があります。
一代目尾上の松の化石化した幹は、石のような感触と重さで、美緒野会一行6名中、持上げられたのは(誰とは公表しませんが)1名だけでした。
新羅(朝鮮) から渡った「銅鐘」(重要文化財)
→如来像の周りを楽器と羽衣を纏った天女が音楽を奏でているという何とも優雅な図。(ここ神社ですが?)
尾山神社
所在地
〒 675-0024
兵庫県加古川市尾上町長田字尾上林518
お問合せ
0794-22-5676
公式HP

以上をもちまして今回の松づくしの旅は無事終了しました。

今度地唄「松づくし」を歌うときは今回見た松の姿を思い浮かべながら、昔の人が松によせた気持ちを想像しながら歌いたい、と思います。
全部見きれませんでしたが、小野先生が作ってくださった松づくしの栞によりますと、

一本目の松は、宇治平等院阿字治池の周りに、
四本目の滋賀の松は、琵琶湖畔の唐崎神社に、
八本目の浜の松は、大阪府和泉北部高石町の高師の浜の松、
十で豊久能の伊勢の松は、やっぱり伊勢神宮に、
そして情ありまの松が枝は有馬温泉(今回もう一泊して行けたらなあ)に、

と云われているようです。

帰りは姫路から品川へ新幹線で。
姫路駅からのお化粧仕立ての姫路城の眺めです。
ホーム窓越しですが、実際はもっと大きく白く輝いて見えました。

レポーター:奥山

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