私共が平素、好んで良く弾いております地歌箏曲の作曲家を中心に何となく聞きかじって、ただ思いを馳せるだけの方々も含めて 近代邦楽期の作曲家をわかる範囲で、なるべく年代順になるように表にしてみました。
1838?-1888(大阪)
御国の誉、新聞紙
徳川慶喜(1837-1913)
1842-1920(熊本)
(尺八手付)
新浮舟、舟の夢
宇治巡り
三遊亭圓朝(1839-1900)
1844 水野の失脚と共に、天保の取り締まりは、しだいに緩んだ。
ニーチェ(1844-1900)
1845-1921(大阪)
相生の曲
相生の曲…明治36年(1903)に六段に打合せる為に作曲
1846-1909(大阪)
三の景色
明治松竹梅
菊仲検校門人。
1847-1929
(東京→鹿児島)
大内山
鹿児島出身。
九州系。
熊本の本田勾当の門人。
1884年華族女学校箏曲科の教師として東京に赴任。
国風音楽会を創立。
流派を超えた音楽講習所をおこしたり、箏の交響楽を試みたりして明治17年から明治37年にかけて生田流に新風を送った。
明治34年東京を去って郷里の熊本に引退。
昭和4年83歳で逝去。
門人に、加藤柔子・鈴木湖村。
大内山…明治天皇の銀婚式のお祝いに作曲。
1852-1892(大阪)
嵯峨の秋
明治25年40歳で逝去。
1852-????
1855-1920(名古屋)
新高砂
箏曲家・胡弓奏者。
安藤検校に地歌箏曲・平曲・胡弓を学ぶ。
名古屋盲唖学校教員、国風会音楽会会長などを務める。
大正9年逝去。
1857-1898(大阪)
坪内逍遙(1859-1935)
森鴎外(1862-1922)
黒田清輝(1866-1924)
夏目漱石(1867-1916)
1868 明治維新
横山大観(1868-1958)
1871 当道制度・普化宗ともに廃止
1875-1931
花売女、大原女
おもひで、紅梅、静
宮城県出身。明治8年生まれ。
国文学と八橋流箏曲を学ぶ。
陸軍軍人などを経て福井中学の教頭に赴任。与謝野鉄幹夫妻らと交流し、新体詩に作曲して新箏曲を提唱。1907年に箏曲「京極流」を名乗り、初代宗家となる。京極流はその後、福井の雨田光平が宗家を継いだ。
大正7年頃より「那智俊宣」と改名して大和絵を描いた。
1876-1926(大阪)
時鳥の曲、金剛石
新巣籠、鶴亀の曲
水は器
明治新曲の代表的作曲者。
明治9年生まれ-昭和元年逝去。
(大阪)
明治松竹梅
巌上の松
(大阪)
稚児桜
雲雀の曲
星と花
1878-1944
(大阪)
菊筋の代表者として昭和初期まで活躍。
晩年は三味線組歌の保存と普及に尽力。
明治11年生まれ-昭和19年逝去。
与謝野晶子(1878-1942)
1879 文部省に音楽取調掛設置
<明治の美人画家>
上村松園(1875-1949)
鏑木清方(1878-1972)
伊東深水(1898-1972)
楠昔話
富崎宗順に師事。
大正7年東京に移り、関西系の地歌を紹介する。富山清琴の師。
昭和33年逝去。節をより以上に面白く唄ったもの)という小唄の中から高尚な歌三首を選んで、雲井調に作曲したもの。
雪の花
春の海…ほか多数
(箏手付)
こんかい
尾上の松
芥川龍之介(1892-1927)
1895 うた沢創始
1905 明治38年「当道音楽会」創立
1906 漱石「草枕」
1907 鈴木湖村「京極流箏曲」
1912 大正元年
大正8・9年ころ、ロシア革命や第一次世界大戦の影響もあって外国人の一流演奏家が大挙来日、演奏会を開き『洋楽ブーム』を迎える。
1926 昭和元年